専門家の糖質制限賛否の主張を素人が受け止めるために-社会構成主義を参考にする

社会構成主義という考え方があります。医師や大学教授などの専門家の主張を見るときに、ほとんどいつも思い出します。

社会学、心理学、経営学などの一部で研究や実践手法の土台として使われている理論・考え方です。
以下は、やや乱暴ですが、社会構成主義を紹介します。
(「あなたへの社会構成主義」を参考にし一部抜粋しました)

私たちが持つものの見方や考え方は、歴史的・文化的に作り出されたものである
「事実」「正義」「真理」として受け入れてきたものも、一つの伝統に過ぎないのです。
(正しい、とか、よいこと、と思っていることも、別の枠組みでみると答えは異なるかもしれない、ということです。)

近代以前の社会では、「事実」や「善」は王や教会が決定権を持っていました。
一方、近代科学は平等のもとに成り立っています。観察された事実に基づく論理的な推論、結果に基づく「真理」は誰にも平等なものです。
私たちが科学に対して抱く尊敬の念は、このように「真理」は恣意的なものではなく誰にとっても同じ、平等なものであるという科学の伝統に基づいています。
何が科学的事実であるかは、科学者コミュニティによって決定されます。
科学的知識も社会的に構成されたものです。(そのような側面もある、ということだと思います)
(事実や真実と言われているものをすべて否定し、私たちのものの見方や考え方をすべて否定するということではなく)
社会構成主義は、自分が持っている考え方、その前提を疑問視し「明らかだ」とされていることを疑い、現実を見る別の枠組みを受け入れ、さまざまな立場を考慮して物事に取り組む姿勢を非常に大切だと考えます。
全ての人に平等であるはずの科学は、平等に対する大きな脅威となり、それ以外のあらゆる声を沈黙させる独裁者として現れつつあります。
専門知識がなかったり、言葉の意味すら理解できないとき、人々は科学者が教えてくれる「事実」をそのまま受け入れざるを得なくなります。

科学の専門用語を並べて主張されたときに、「エビデンスレベルの高いRCT論文によれば、、、」と言われただけで、信頼性が高いのだろうなあと思い、「だから〇〇は危険なのです」と言われると疑うのが難しくなります。
用語の意味が分からない、日本語で読んでもわからないであろう論文が外国語でかつ入手するのが有料、となると、お手上げで専門家の言うことを信じるしかない、と鵜呑みにするのも仕方ないことかもしれません。
ただ、少なくとも糖尿病治療と食事の関係については、今の医学では結論が出ておらず、ほとんどが専門家の自分の考えに合うデータを主張のための材料として使っているだけで、一つの研究や論文などで結論が出るものではなさそうだという認識を持ったほうがよいように思います。

専門家には、自説を主張するために素人がわからない専門用語や論文を使って素人向けに発信することには、影響力があるがゆえに慎重になってほしいとは思っています。

コメント