糖尿病治療は医学論文に振り回されないことも必要です

医学論文については、批判的なことをこのブログでも何度か書いてきました。

医学の専門家であるたがしゅう先生がブログで明確に書いてくださったので、とてもすっきりしました。

引用させていただきます。

自説の根拠を多量の医学論文に求めて主張を展開されている方がいます。

例えば当ブログで紹介した崎谷博征氏や、津川祐介氏の主張の仕方です。

こうした医学論文を元に主張を展開するやり方は、実はどんな主張であっても行うことができます。

なぜならば世の中には様々な見解の医学論文が無数に存在しているからです。

医学論文は科学的なのだから、視点が違えど必ずただ一つの真理を現しているのではないかと、だから医学論文を示すことは根拠として優れた説得力を持つのではないかと思われる方も多いことでしょう。

しかし糖質制限関連論文一つとっても、スタチン関連論文一つとっても、見解は全く一致しているとは言えません。
だから糖質制限に肯定的な主張を展開する場合も、逆に糖質制限に否定的な主張を展開する場合でも、

自説に都合のよい論文を引用して論理を展開するということは医学の世界ではいくらでもできてしまうのです。
これが物理学とか数学とか、もっと基盤のしっかりした科学であれば、

Aという論文とBという論文の主張が食い違うことは、アインシュタインのような新星が現れない限りそうは起こらないことなのでしょうけれど、

医学ではそうした食い違いが日常茶飯事で起こっています。それは医学論文の科学性が極めて乏しいことに由来しています。

ですから、数多くの医学論文だけを根拠に自説を展開している人の話を私は基本的に信用していません。

本当に根拠が乏しいのかどうかを確かめるためには元論文を詳しく読み解く必要がありますが、この作業がまた骨が折れます。

しかし私に言わせれば論文の妥当性を確認しなくとも、そもそも論文だけが根拠になっている状況そのものが、その人の主張を危ういものにしているのです。

 

このブログで私が再三書いてきていることは

医学、とくに食事と健康や糖尿病治療は「真実は一つ」という科学ではない。
にもかかわらず、真実は一つ、というような主張に使っている専門家(医師)が多い。

ということです。

また、私が本業で接している経営学や心理学は「真実は一つ」ではないので、統計的有意差が明確に示された論文でもその適用範囲がどこまでか、に学問的考察の意味があります。A社での結果は、B社でも同様と推測できるのか、他の業種でも当てはまるのか、を慎重に考察する必要がありますし、それが専門家の仕事でもあります。

ところが、食と健康、糖尿病治療に関する論文の引用は、すぐに「糖質制限は危険だ」「糖尿病には〇〇が効果がある」と一般化して主張されています。これは専門家の行うべきことではない、と私は思います。論文の考察では、どこまで適用できそうかや研究結果の示唆することや限界が専門的に論じられているはずです。それを超えた勝手な解釈で素人を惑わすことは問題ではないかと思います。

また、統計は因果関係を示すものではないのに、因果関係的な主張をしていたり、統計的には有意な差であっても、実際のところは大きな差でないものを大げさに言ったり(AとBを比較して 何%多い、という話にそれが多いと思っていますが)する例も多いようです。

こういうの、専門家のモラルハザード(倫理観や道徳的節度がなくなり、社会的な責任を果たさないこと)と言ったら言い過ぎでしょうか。しかし専門家の説であるから信憑性が高いと思う人がいるから影響力を持つわけですから、専門家であることに責任は何らかあると思います。

これらの私の感想は論文が公開されていて、かつ私でも読んである程度理解できるものについてですから、論文が公開されていないと全く判断のしようがありません。

そこで、私は、この領域の医学は、一つの論文で糖尿病の食事歩治療の是非や安全性を証明する力がない学問だ、と結論付けました。そのため、論文やあるいは医師の主張に急速に興味を失っています。

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