真実は一つ?

エビデンスレベルについて続けて記事を作りました。このブログの目的である、誰かの役に立つ記事を提供したい、というより、自分の考えを整理したい、自分の考えを発信したいという動機のほうが強いです。
エビデンスレベルということを調べながら、医学に対して無意識に自分が持っている考えが少しはっきりしてきました。

世の中のほとんどのことは「真実は一つ」です。科学はそれを探求し解明します。解明された真実を用いることで私たちは便利に暮らしています。
私は仕事でもプライベートでも自動車をよく使います。自動車の中ではガソリンが燃えている(爆発している)のに安心して乗ることができるのも科学のおかげです。エンジンに使われる材料の耐熱性とか爆発の圧力に対する強度とか熱伝導率とか様々な科学的事実(真実)とその活用のおかげです。

科学は真実を探求しそれを解明している(科学は真実を知っている)と私たちは考えます。
真実を探求し解明し説明してくれるのは科学者です。ですから私たちは科学者を信じ敬意を払います。

「真実は一つ」と「科学は真実を知っている」について私たちの考えは少なくとも3パターンあることを思いつきました。

「真実は一つ」で「科学(者)は真実を知っている」と多くの人が思っていること

物理、化学などの分野はこの事例が多く、私たちはそのことを子どものころから教わります。
たとえば、小学校で行う理科の実験はそういうものが多かったように思います。

クラスをいくつかの班に分けて、フラスコの水をバーナーで温め温度を計る実験を行う。
どのグループも100度以上にはならない。
そのあと先生が水の沸点の説明などをおこなう。
生徒は「水の沸点」が100度であることを理解する。
このような実験、授業を通して「真実は一つ」「科学は真実を知っている」ことを教わります。
「先生」は科学的真実の知識を持ち、それを伝えてくれる人であることも学びます。

「真実は一つ」だが「科学(者)は真実を知らない=間違っているかもしれない」、と多くの人が思っていること

邪馬台国はどこにあったのか、「真実は一つ」のはずなのに、畿内説、北九州説の他諸説あり、です。
私たちは、その分野の権威・科学の言うことについて、この科学者は畿内説なんだ、というとらえ方をする、つまりその科学者の言うことは正しいかもしれないがそうでないかもしれない、と受け止める人が多いのではないかと思います。この説が正しい、と一つの説が真実であることを信じている人もいると思います。

真実はたくさんある、と多くの人が思っていること(科学(者)もそう思っていると思われること)

利益が上がる経営方法は何か、生徒の学力を上げる教育方法は何か、〇〇の上達法、などは方法論は様々で「真実は一つではない」ということは多くの人が考えていると思います。そしてそれらの方法論の裏付けになっている学術的な理論もいろいろあることを多くの人が知っていると思います。

「真実は一つ」と「科学は真実を知っている」について、3つに分類してみました。(この3つの分類は私の思いつきです)
3つの分類は、科学の分類(大学学部レベルだと、工学、理学、医学、経済学、経営学、法学、文学 とか)によって当てはまり度合いが違うようにも思えますし、同じ科学のなかでも個別テーマによって異なるのかもしれません。

私は医学は、「真実は一つ」で「科学は真実を知っている」という領域であるという考えを持っていたように思います。
だから、病気になれば先生の指示に従う(形式的にはその治療を行うことに同意する)し、それで病気が治ると思っています。
「私は知らないが、先生が正しい」というのは、論理的には絶対に正しいとは言えないことはわかっていても、先生が正しい、その意見に従うべき、というのは子供のころから刷り込まれ教え込まれてきた考えで、無意識のうちにその考えに影響されます。
TVで医学の専門家・科学者である医師が、「健康のためには〇〇を食べるとよい」と言うと、なるほどそうかと信じてしまいます。

糖尿病治療と食事療法(カロリー制限と糖質制限)、最近よく話題になる糖質制限の安全性はどれに当てはまるのでしょうか。

糖尿病治療を糖質制限で行うことを自己選択しているということは、『「真実は一つ」で「科学(者)は真実を知っている」』の考えではないということです。
ですから、医学の専門家・科学者である医師の言うことをうのみにしてはいけないのですが、しかし多くの事柄について、専門知識のない私の考えより専門知識を持つ医師の考えのほうが正しいことの確率が高いと思います。
ですから科学者・専門家のいうことには耳を傾け学ぶことが必要です。科学者・専門家の意見が異なる場合には自分で判断する根拠がなくなり混乱したり不安になるのも仕方ないことです。

しかし、糖質制限は正しい、と思い込んで、批判論があった時に江部先生のブログをみて批判論への反論がることで安心する、というのは、邪馬台国は北九州だ、と決めつけて畿内説が唱えられるたびに北九州説の権威の見解を頼る、ということと同じと思います。(現実社会では糖尿病治療の糖質制限が少数派ですから、邪馬台国出雲説を信じている、のほうが比喩として近いかもしれないです)私は糖質制限を行っており、始めて数か月ですが今のところ血糖コントロールもまあまあうまくいっています。しかし、絶対的に糖質制限がよい、と決め込まずに情報を収集し自分の治療を行っていきたいと思っています。

私は、真実は一つ(カロリー制限と糖質制限)や糖質制限の安全性などのテーマは、「真実はたくさんある」というテーマである、あるいはそのアプローチのほうがよいのではないかと思っています。
「真実は一つ」だと糖尿病治療に糖質制限は是か非か、とかカロリー制限以外は認めない、というような議論になってしまいます。食事と健康というテーマは、人によって健康に良い食事は様々が正解のように思います。糖尿病の食事療法もそうなのではないでしょうか。
米国糖尿病学会は従来のカロリー制限だけでなく、地中海食、低炭水化物食など様々な食事法を認めているようです。そのほうが自然な気がします。

糖尿病治療を糖質制限食で行っている私としては、日本糖尿病学会がそれを認めたうえで、こういう場合はカロリー制限のほうがよい、とかこの場合は緩やかな糖質制限がよいなどの検討を重ねてくれるとよいなあと思います。

糖質制限VSカロリー制限 とか スーパー糖質制限VS緩やかな糖質制限 というような2者択一でなく、患者の状態によってあなたの場合これがよいのでは、と提案し、患者の状態によって一緒に考えてくれるそんな糖尿病医療が実現したらよいのに、と願っています。

コメント

  1. モン吉 より:

    ホリデーさん、こんにちは

    「糖質制限VSカロリー制限 とか スーパー糖質制限VS緩やかな糖質制限 というような2者択一でなく、患者の状態によってあなたの場合これがよいのでは、と提案し、患者の状態によって一緒に考えてくれるそんな糖尿病医療が実現したらよいのに、と願っています。」

    ホリデーさんの仰られる通り、本当にそうなってくれると良いですね。
    糖尿病と言っても、一人一人その状態は違うわけですから。

  2. neko より:

    ホリデーさんとモン吉さんに同感です。

    同感ではありますが、現実では、医師も人間、勉強熱心な医師もいればそうでない医師もいる、患者のことを考えてくれる医師もいればモノとしか扱わない医師もいる。全ての医療機関がそのような良心的なものになるのを待っていたらこちらの寿命が尽きてしまいます。

    結局、自分の体は自分で守るしかないんですよね(もちろん信頼できる医師のアドバイスは非常に助かりますが)。今の時代、ネットがあるし、ネットが使えない人でも本屋に行けば糖質制限の本は山積み。努力すれば情報収集できるのです。だから厳しいことを言うようですが、努力を怠ったり、家族や友人のアドバイスに耳も貸さない(はじめから拒否する態度)人たちは自業自得かな、と思ってしまいます。自分の体、命のことなのに。現にホリデーさんはご自分で糖質制限を見つけて始められたわけです。今はそれが出来る、いい時代なのです。

    こんな記事があったので、良かったら参考に。

    「なぜ私たち日本人は、いつまでも羊のように「自分の人生を慈悲のない他人に丸投げする」ことをガン治療において続けているのか」

    https://indeep.jp/theres-healers-within/

    日本人だけではなく、ベルギー人の義母も同じです。彼女も糖尿病なのですが、主治医は糖質制限のことは何も知らないようです。ご存知のように、米国では2016年から糖質制限が糖尿病食の一つに認められていますが、この医師は何も知らないようです。人の命を預かるプロなのにこの勉強不足の態度には本当に憤りを感じます。