エビデンス暴論

久しぶりにエビデンスについて書いてみます。

江部先生のブログからの引用です。

『炭水化物の摂取増加で死亡リスク上昇』という研究と、国立国際医療研究センターが2013年に発表した、海外の糖質制限食に関する長期研究の解析結果では、摂取カロリーに占める糖質の割合が低い「低糖質群」は、「高糖質群」に比べて総死亡率が1.31倍

などの研究ににふれて、

ⅠとⅡで、真逆の結論ですが、
科学の世界でのエビデンスとは、こんなものと思います。

と書いていらっしゃいます。

ひねくれた見方ですが、「科学の世界でのエビデンスとは」ではなく、「医学における、特に疫学的研究でのエビデンスとは」ではないか、と思っています。ほかの学問ではもう少しまともではないか、と常々思っています。

そもそも真逆の結論があるような研究を、科学的なエビデンスと言うの?と言いたくなるところです。

また、

一方、糖質制限食に否定的な、
「エビデンスレベル1+」と「エビデンスレベル1」の論文は皆無です。
この時点で、「糖質制限食是非論争」に
エビデンスレベルで、明白な決着がついたと言えます。

と書いていらっしゃいます。
しかし、「科学の世界でのエビデンスとは、こんなもの」という立場をとると、エビデンスのレベルによらず、真逆の結論の研究は出てくる可能性があり、明白な決着とは言えないように思います。

ちなみに、私の仕事の分野でも、真逆な結論の論文は多々あります。それは、どの範囲で適用可能か、を議論し、論文ならその研究の限界を明記するのが科学だと思います。

医学の世界では、論文には適用できるであろう範囲や限界が書いてあるにもかかわらず、一般化して都合よく自分の主張にあうように喧伝することが許されているように思います。
邪推ですが、学術領域の同業者間(医師間)では、科学者としての態度で議論するが、素人は理解できないから分かりやすく伝えることが親切だ、と都合のよい解釈をしているのではないか、と思ったりもしています。

私は統計はある程度理解できるので、以前は話題になった論文を読むことをしていましたが、
・肯定にせよ否定にせよ論文そのものは糖質制限の是非まで一般化できるものではない
・素データ(食事調査票による摂取量)に信頼がおけない(例えば日本の「栄養調査」は実際の食事量と20%以上異なるとも言われている)
・ネットで見ることができる論文では、調査票まで見ることができないものが多く、信頼性が?
・長期間にわたる調査については、そもそも対象者が数年以上同じパターンの食事をしているのか疑問がある
・糖質制限と一括りにできない(糖質量40%を糖質制限と言われても、私の行っている食事とは全く異なる)
などの理由で、論文を調べることをほとんどやめています。

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